桑田真澄の講演会|元プロ野球選手(巨人)が語る成功哲学【徳島県三好市】
こんにちは、食べるシセイを良くする”楽しい栄養士”の南部です。 初めての方は ≫こちらをご覧ください
桑田真澄さんの講演会で学んだことを備忘録として記載します。野球ファン、巨人ファンの方にはグッとくる内容でした。当日の会場ではサイン色紙を配ったりと凄まじいファンサービスでした。ぼくもちゃっかりもらいましたが、すごく優しい方でした。
それでは講演の内容を記載していきます。(備忘録のため要点だけの記載です)
桑田真澄講演会|徳島三好市 12月2日
もくじを開く
「夢への挑戦」そして実現へ
桑田真澄とは…
甲子園 5期連続
20勝
優勝2回
準優勝2回
1995年 右腕靭帯断裂
1997年復帰
読売巨人軍 ドラフト一位
2年目で2桁勝利
メジャー2007 パイレーツ
心の野球 桑田真澄
努力することの大切さを誰よりも知る男
自分の心にすなおに生きたい
38歳でメジャー挑戦
2007年右足靭帯断裂
恩師:藤田元司
20歳の頃からアメリカで投げたいと夢を持ってきた。誰もが無謀と言ってきた中で勝ち取った。夢への舞台。最後まで桑田真澄らしい野球ができた。
人生哲学としての「野球感」
2歳から野球をしてきた。野球からたくさんの幸せをもらった。いまでもOB戦の前夜はどこに何を投げるかを考えてワクワクしている。子どもへの野球教室ではどう伝えるといいのかを考える!
野球には2面性がある。試合に出られるのは9人だけ。金持ち、政治家、医者の息子でも関係ない。プロ野球選手になるのは東大よりも難しい。年間80名程度。しかも、入ったとしても野球選手の寿命28歳くらい。
超弱肉強食の世界。試合に出て、結果を残さないといけない。
桑田真澄の少年時代
中1でピッチャー抜擢。何回やっても勝てない。
味方が打ってくれているのに自分が不調。
自分が絶好調で0点に抑えても、勝てない。→味方も0点
この状態を繰り返して、「どうして勝てないんだろう?」
考えて考えて、当たり前のことに気づいた。
「表と裏の両立」
人生の哲学をここで学んだ。
表と裏の観点を見ると?
学生時代
「野球」と「勉強」
プロ野球
「結果」と「プロセス」
どのように練習し、体力、技術を磨くのか?
どのように仲間と勝利を勝ち取るのか?
ビジネスの世界
表と裏
ビジョン、戦略と収益のバランス
では、最初からできていたのか?
「全くできていなかった。」
自分の人生を振り返ると「挫折」の一言
挫折の人生だった。ここから、何を考え、何をしてきたのか?
2つのターニングポイントになった挫折
1、小学生での挫折
4月1日生まれ
「学年で一番若い」周りと約1年違う。
勉強もほとんど理解できない。テスト用紙を配られても名前の欄しかわかりません。テストの点数は0点だった。時々4〜6点くらい。(丸ばつが当たるくらい。)
友達からの心無い言葉を浴びる
「また0点やな、アホやな」
あだ名は「アホ」流石に子供心に傷ついた。
ここで桑田真澄の考え方は?
勉強はわからないんで諦めた。
夢は「プロ野球選手になる。」これにより、勉強を諦めた。小学3年生野球チームに入る。
Aチーム6年性
Bチーム5年性
Cチーム4年性
当時3年性だけど、監督がAチームに招いた。「お前はうまいから」
嬉しくて仕方なかった。自分の野球を認めてくれたから!
そんなかでの初めての練習
縦社会を経験する。
「グランド整備、道具磨き、片付け」先輩が来る前に1人で準備する。
しかし、これくらいは苦にならなかった。
なぜならプロ野球選手になりたかったから。
とはいえ、監督が休むことが多かった。
大人がいなくなると・・・
”先輩からいじめを受ける。”
自分には野球しかなかったので、歯を食いしばっていたがいじめを理由にやめてしまった。あとはグレるだけしかなかった。
どうしようもない小学生時代。
母親からの言葉
「中学生になるんだから、目標を立てごらん」
それに対して桑田真澄の掲げた目標「高校はPL学園、大学は早稲田、プロ野球」
おかん
「あほか!手の届くことにしろ」
どうしたらいいか考えなさい!
這い上がりの中学1年生。
一生懸命実行しようとした。
しかし、勉強のやり方はわからない。
だったら自分にできることは?
・秀才軍団にやり方を聞いた。
・先生にやり方を聞いた。
どうすればいいのかを考えて、実行するのが楽しかった。これを繰り返すとテストにも反映されてきた。ドベから10番づつあげていく。
小さな成功体験を得ると楽しい。頑張れる。「努力ってすごいな、楽しいな」と感じるようになった。それを最初に教えてくれたのは勉強だった。この努力を野球に生かした。
そして、学校の野球部に入る。毎日朝練、授業後には練習。水は飲めない。殴られない日はない。夜8、9時に帰ってくる。家で勉強する時間はない。
授業中しか勉強する時間はない。宿題は休み時間。家に帰ってからは1時間の勉強、それしか時間はない。
野球も寝る前に素振りを30回、シャドーピッチングは50回。決してたくさんしない。少しをコツコツ続ける短期集中型の努力。運のいいことにたくさんする時間も気力もなかった。
そうすることで中学生として輝かしい成績を収めていった。
2つ目の挫折PL学園と清原和博
PL学園に特待生として招待、中学3年生は負けなしの野球成績。敵なし「小学生の時はなんだったんだろう?」
しかし、PL学園である男に出会った。
清原和博
桑田:中学校の野球部
清原:リトルリーグ
交流がなかったんでお互いを知らない。
入学前に顔合わせ。
初めて会った時の目線は彼のベルト、人生で初めてこんな大きな人を見た。とはいえ「どうせでかいだけで鈍臭いだろう」と思っていた!
バッティングマシーン
清原が先に入る。
がばーん!
聞いたことない音
2球目もがバーん!
10球中8球が場外
体がでかいからバッティングだけだろう?
浅はかなことを思っていました。しかし、圧倒的なグラブさばき。
190cm近くから振り落とされるストレート
この時点でプロ野球選手ですよ!
桑田はコンプレックスに挫折
「おれは小さいなぁ」
入学後
4番の清原
桑田はどうだ?
全然ダメだった。「何が中学の優勝投手だ!」「背は小さいし、球は遅い」
6月ごろ、監督からの野手転向を言い渡される。またも塞がる超縦社会の寮生活。
4月5月頑張ったが、、、
先は見えている。
母親に泣きつく。
「やめさせてくれ、転校させてくれ」
「周りが大きくてすごい選手ばっかりだ。もう無理だ」
母親
「あなたが目標にしていたPLに入れたんだから補欠でもいいじゃない」
「清原の真似はしなくても自分のペースでやって見なさい」
でも桑田の耳には届かない。
それでも、一言だけ響いた。
「絶対に自分の夢を諦めちゃダメなんだよ」
涙はピタッと止まる。何か方法を探して見た。
まずはじめに、「なぜ高校では結果が出ないのか?」を分析した。今までの2倍3倍を頑張ってみたが結果は出ない。
ピッチングの専属コーチに教えを聞き、野球の基本や方式を徹底してやっていく。しかし、結果はでない。
どうすればいいんだろう?
そんな時に母親の言葉を思い出した「自分らしさ」
高校に入ってから練習の量、野球界の基本や常識を忠実にやっていく。「果たして、これは自分に合っているのか?」
自分らしくするために、短時間集中型に戻してみる。
すると、体は元気になり、集中力が増す。
ピッチングフォームも自分の好きなように投げる。(投手はクビだからキャッチボールの時)
そんな時に監督から声がかかる。
「お前投げてみろ」
フォームは常識から外れる。
「あいつは大丈夫か?」
結果は0が9個並ぶ(無失点)
次も任命される。気がつけば、甲子園優勝。
自分らしさに気づいたからこの結果が出た。
基本や常識は大事、ただそれが自分に合っているのかが大事。短時間集中型の努力と自分らしさ。
・背も低い
・150kmの速球もない
・魔球の変化球もない
桑田にはなにがるのか?考えた。
「総合力」
守備、攻撃、頭脳
マウンドのコンディショニング、場面ごとの分析。バッタの癖や次のバッターの特徴を見抜く。実力だけではこれだけの成績を残せる選手ではなかった。しかし、自分らしさを貫くことで成果を出した。
もう1つ大切にしていることは「本物に触れて感じてみる」
本物の触れないと本質はわからない。
だから40前でアメリカに挑戦した。メディアに叩かれた。それでも本物の触れたかった。
桑田真澄の今後の目標
勉強、野球の勉強
日本の野球を盛り上げる
東大野球部のピッチングコーチ
他の大学でやっている何倍も練習をしようとする。
桑田からの提案
短期集中型で自分にあったトレーニングを行う。
現状:ピッチングは全員120km台ばかり
なにで勝負するか?
コントロールで勝負?
桑田10球中8球思ったコースに投げれる。
しかし、部員は0か1球くらい
じゃあ、どれで勝負するのか?
とはいえど、150kmは厳しい
やっぱり、コントロールだったら可能だ!そのためにブルペンで投げれるように、キャッチボールで投げれるようになる。
英語に関しては運良くみんなとスタート地点が一緒だった。将来アメリカに行きたかったので外国人選手と仲良くしていた。一回の会話で1つの単語を覚える。1年で365日ここでも毎日コツコツ
最後に野球界の後輩たちへ
「礼儀を学ぶ」
これには理由がある。野球で大きなことを学んでいるのに野球選手の欠点、グランドを出るとやらなくなる。だからグラウンドを離れても勉強を諦めない。30点だとしても、40点を目指すのが野球選手
「俺だからこそできる。」の気持ちをもって、大事なことは失敗しても起きあげること。それにより学びがある。
失敗を恐れない。むしろ失敗を推奨する。
周りからは言われる「桑田引退したから安泰だろう!」
そうじゃない、苦難がいっぱいある。
そんな中でも、自分らしくコツコツと努力を続けていく!
スポーツ栄養士南部真也による考察・感想
桑田選手は終始、「自分はこれだけの成績を残せる男ではない。運が良かっただけ。」と言っていた。これほどの偉業を達成した人にしては謙遜しすぎじゃないかと感じた。しかし、その謙虚な気持ちが彼の信念なんだろう。
大きく派手なことはせず、小さくてもコツコツと続けること。
そして何よりも「言動」、「声」いろんな部分が柔らかい物腰。しかし、握手してもらったときに感じた、野球に人生を捧げた男の厚み。近くで見ると首は太く、世界で戦ってきた人の凄さは、近くで見ないと分からないものだと感じた。数字だけじゃなく、近くで本物に触れるとわかることもある。
素晴らしいお話を聞けたので皆さんにも共有します。日本の野球界に大きな功績をもたらせた桑田選手の今後にも注目です。
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